「知能をたずねて」の最初のコラムは、IQを好きになるためでも、嫌いになるためでもなく、その役割を問い直す文章にしたい。
この記事で押さえたいこと
- 同じIQでも、用いられる文脈が変われば意味が変わる。
- 検査の目的と、結果を使う人の責任を切り離せない。
- 「高低」は比較を示す言葉であって、人の価値についての判定ではない。
数字は、いつ必要になるのか
私たちは体温も、身長も、試験の点数も測る。数値には、印象だけでは分からない違いを見える形にする力がある。IQもその一つだ。
ただし、何かを測れることと、それをいつ・誰に・どう使うべきかは別の判断になる。学習や支援を考えるための得点と、人を一列に並べるための得点は、同じように見えて、使い方がまったく違う。
高い人の話題ばかりにならないために
高IQの話題は注目を集めやすい。「何人に一人か」「有名人は何点だったか」という記事も作れる。だが、知能の分布を扱うなら低い側も同じくらい丁寧に語りたい。
IQ100未満であることを、直ちに困難や欠点と結びつけない。IQ130以上であることを、無条件の優越と結びつけない。両方に同じ慎重さを適用するのが、このサイトの編集方針だ。
原典を開くことで、話は少し変わる
「IQ130以上はギフテッド」という短い説明を読むより、NAGCの定義を読む方が、学習機会や教育的ニーズの話が見えてくる。「IQ70以下なら」と聞くより、AAIDDの定義を読む方が、適応行動や発達期の条件も見えてくる。
数字についての一言は簡単だ。周囲の条件を読むのには時間がかかる。しかし、そのひと手間こそ知能を探究する面白さではないだろうか。
編集方針として
このサイトのコラムでは、筆者による解釈は意見として明記する。研究によって明らかになったことを装ったり、公開されていない「MENSA会員の体験」を創作したりしない。科学の説明と、一人の編集者の問いを並べることを大切にする。
参考資料・原典
記事の主な根拠として参照した一次資料です。原典を直接確認できます。